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なぜこんなことになってしまったのか
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[3] はるか昔のM女の発言お許し下さい 投稿者:ゆかり (2021/11/19(金) 00:00 p6083017-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp)
縛りはわたしも好きなプレイですね
あれが絶対ではなく
私的には拘束の一つかなあ。
手枷足枷のガチャガチャする音とか好き
テープの感じも楽しそう
プレイの中で如何に従わせられる?
支配下に置かれる?甘い痺れ感に恍惚感を感じます
縄は勿論危険なものなので
するからには頑張ってほしい
安心感は技術と人柄に支えられている
と思ってるので
でも、お相手の声や口調だけで
もう、泣きたくなるぐらい震えるのは
私だけですかね。
でもね、縄良いですよね
いつかまた繩酔いしたいです
どっちやねん!草
的外れなお答えですね
[2] SMに限らず。。 投稿者:知香(ちか) (2020/06/27(土) 00:52 ttn103-198-213-236.ttn.ne.jp)
SMに限らず、あらゆるものが「面倒な技術習得しなくても何とかなる」ようになっていると感じます。
縛りを知らなくても、玩具を持てばSM出来る。
バック駐車が苦手でも、360度モニタで駐車できる。
細かく刻めなくても、道具があれば食材を粉砕できる。
限られた人だけが出来るものではなくなっている、そう感じます。
[1] なぜこんなことになってしまったのか 投稿者:五十代のS (2020/06/13(土) 17:02 45.9.148.216)
もう何年も前に、自称M女性が「痛いのはイヤ」と言ったなんてい
う笑い話がありましたね。
私が若い頃はSM雑誌全盛期で、各誌が競ってハードな縛りを載せ
ていたものです。ところが80年代中ごろから、ハードな路線は影
を潜め、股を開き、局部を見せることに重点が移り始めました。
そして現在のインターネットには、縛ることさえなくなって、普通
のスケベとどう違うのかと思わせるようなものを、SMと称する人
であふれています。
そんな人たちが好んで使うのが、「主従」という言葉です。
主従関係にある女性は、どんなにいやらしいことでも、喜んで男性
に従うものだという、普通のスケベさんには便利な言葉です。
このサイトの募集掲示板を占めているのはそんな主従SMの好きな
人ばかり。本来のSMを求める人は、あえて「SEXのおまけ的な
SMには興味がありません」と断りを入れる始末です。
最近、質問掲示板にこんな質問がありました。
「緊縛 → 拘束して自由を奪うのはSMの大前提」という意見をみ
かけましたが、そうなのでしょうか?緊縛・拘束がなくても、Sの
方の言葉や振る舞いだけでも被虐を感じて喜ぶ人間はマゾではない
ということになるんでしょうか…?」
回答が4件ありました。そのうち1件は回答とはいえないようなも
のなので無視すると、
2件は縄なしもあり、縄なしはありえないが1件です。
(縄なしはありえないは私の投稿です)
つまり半数以上が縄なしもありという主従SM派です。
それどころか「縛ることをもってSMという人もいると思います」
と、まるで縛るSMは例外のような扱いです。
「縛りと責め」という表現がSMの代名詞であったはずなのに、ど
うして縛りもない主従SMばかりになってしまったのでしょうか。
皆さんのお考えを聞かせていただきたいと思います。